今日のニュース、まだ聞きかじりだし詳細は分かりませんが、再会した米国からの輸入牛肉にBSEの危険がある部位が混ざっていたという、一報。

あまりにひどいではないですか。
ようやくの輸入再開を待ちに待った吉野家(応援していました)はじめ、企業、消費者が裏切られた、という感じですね。

ちょうど今日読んでいた辰巳芳子さんの「いのちの食卓」に、アフリカのある国の貧困援助でアメリカがトウモロコシを送ったという話がありました。ただそれが遺伝子組み換え作物。とうもろこしを主食としている彼らは断固として拒否をした、というのですが、アメリカは無償で提供するのに文句を言うな、という態度だったそうです。食べるだけでなく、その後それを種に作物を作っていくと最後には遺伝子組み換えのものばかりになってしまいます。そういうことも考えて拒否をしたという苦渋の選択。どこの国でしょうか。
遺伝子組み換え食物の危険性は良く分かりませんが、コストダウンのためなのか、操作をして作ったものを食べるのは不安ですね。

そこからさらに連想して思い出したのが、作物で他の国を支配しようという大国の大企業の傍若無人ぶりを書いた、服部真澄さんの「GMO」。書かれてから数年たっていますが、いつもどおり、まだまだ旬を感じさせる話題を詳しく取材し、物語としても面白いものを書かれています。
ここでは、バイオテクノロジーで遺伝子組み換えどころか、毎年種を買わせるために一年でだめになる作物や、その作物を荒らす害虫を放ち、その虫対策の農薬を売ったりという大国の企業を描いています。

たまたまかもしれませんが、こういう食物の不安関連の話が立て続けに入ってきている私の今日この頃。
一食一食が自分の体とそして心を作っていると思うと、どうでもいいものは食べたくないな、と思うところです。
地味でもしっかりと地に足をつけ、自分の感覚を大事にして心と体の声を聞きながら生きていきたいなあ、という気分です。
犬rururu