いろいろあると、何を守らなければならないか、考えるようになりますね。
それ以外の大変なことはたいしたことない、と思う。

私の今日は幸せな休日でした。
一度は死にかけた母と一緒に、誕生日祝いに持って行ったパフェとコーヒー、病院の休憩室で食べました。
車椅子ですが縦に座って。
2倍に薄めたコーヒーは一口。パフェは半分。
後は私が引き受けて。
手前味噌ですが喜んでくれたようで。

何より頭がしっかりしていることがありがたくて。
心配事も何に関しても話すことができることだけありがたく。
最初に病院に運ばれたときには普通に話が出来る日が来ないかも、と半ばあきらめていましたから。
かなりのショックで。

心の準備が出来ていないところに、生死の問題や、他、あまり見たくなかった問題も見えてしまってなかなか受け入れられない自分はからだがばらばらになるような感覚を持つ日々になりましたが。

実社会上の問題は前向きに対処する、絶対できるという信念を持つことで自分の気持ちの整理はつきました。
後は母の病気に対しての戦いに付き添うこと。(生命力強く、後遺症なし10%の範疇に入りそうですが)
父の心のケアに付き添うこと。

病気は人の心の問題だと究極的には思います。
今日も母との話の中で、筋力が衰え続ける病にかかったと断言された母の友人の連れ合いの、病院に頼らない自力での回復の話を聴きました。
絶望的な、という若いお医者の話すことを聞き流し、自分で情報収集し、自分の納得の行く療法と筋肉鍛錬により、今は山登りもしている、ということ。
(お医者さんを信頼しないわけではないので、あしからず。たまたまの事例について言っているだけで。)

そして病人の母だけでなく、その周辺にいてくれる人たちをいかにケアするか。人の心の問題に関して、感じることは出来てもうまく表現できない自分に対しての、改めて、40を過ぎての勉強の場をもらってしまったのかな、と思います。

試練はありますが、つくづく自分の状況はありがたいと思います。

rururu