NHKの白洲次郎のドラマを見ながら、ところどころを酔った頭で見ながらですが、当時、アメリカ側に日本の心を理解してもらうように心を砕いて努力した様子を見て、また米国の考え方を日本側に伝えるにしても、言葉の違い、その背景となる文化の違い、が障害になっているのを何とか切り抜けようと努力している様子。

昔、それも戦後60年なのに言葉と感じ方とニュアンスの違いを実感し、そもそも違うものなんだという前提でイギリスの人とコミュニケーションをとっていたのを思い出した。

ま、自分の国際感覚のなさと英語のつたなさというのがそのコミュニケーションの障害になっていたかもしれないけど。少なくとも一企業の中で私の低いレベルだが、それ以上にコミュニケーションをとれる人がいなかった(少なかった)ということも、やはりまだまだ遠い国という感じなんだと思う。

そう、世界は数十年単位ではなかなか一つにならないんだと思う。

ま、今エコ検定で見ている世界観、24時間を残すところあと2分で産業革命が終わり、一気にこれまでの環境が変わってきているという時間感覚からすればほんの小さなことでしょうが。
自分の人生のうちではばっちり理解しあうということは難しいのだと思う。
そこに自分の役割がありそうな。。。いやー、ないかも知れない(笑)

犬rururu